前回の「業務には全力で取り組もう①」では、世の中には不当な叱責やパワハラを受けている人が多い一方、叱責の正当性を与えてしまう人も多く、それが世間での不当な叱責やパワハラというものを許してしまっている一因であること、そして、正当性を与える側にならないために、常に業務には全力で取り組む必要があるということを書きました。
今回は、業務に全力で取り組むべき理由の2番目の理由を書きたいと思います。
業務に全力で取り組むべき理由②
業務に全力で取り組むべき2番目の理由は、不当な叱責をしてくる人間の過ちを確信するためです。
前回の「業務には全力で取り組もう①」で書いた通り、叱責の正当性は取り組む姿勢に問題があったかどうかが焦点です。注意・集中を持って精一杯、取り組んでも人間は機械ではありませんからどうしても、見落とし、見間違え、勘違い、うっかり忘れ、聞き間違えといった多少の間違いを犯してしまうこともあります。全力で取り組んだ上で出てしまったミスは過失であり、仕方のないことです。
私が過去に所属した会社で、どう見てもダラダラとしていて一生懸命に業務に取り組まず、それでたびたび間違いを犯し、怒られて陰で不満を言っている人がいました。確かに怒った上司は、普段から不当な叱責をしている人でしたが、そもそも余力を残して問題を起こしているという時点で、怒られる側にも問題があるわけです。こういうケースが世の中には多くあるので、問題があやふやになるのです。(これは前回にも述べた叱責の正当性を与えている人のことです)
当時、不当な叱責を受けやすかった時期の私はそのことに気がつき、 業務に全力で取り組むようにしました。そうすることにより、相手の間違い(叱責が不当であり、単なる個人攻撃であること)がよく分かるようになるのです。
不当な叱責をしてくる人間というのは、こちらの言い分を聞かず一方的に叱責してきます。それは、業務に真摯に取り組んでいないという決めつけなのです。ですが、実際には全力で取り組んだ結果であったとすれば、単にこちらが反論しにくいという立場を利用して、不要な攻撃をしてきているだけだということがハッキリと分かります。(他の人であれば問題にもしないことをこじ付けで問題にでっち上げ、攻撃してくるということもよく分かるようになります)
しかし、一生懸命にやった上での過失であったとしても間違いは間違い。そこはしっかり自省しないと、単に間違えておいて開き直っているだけになってしまいますので、たとえ注意をされなくても自ら進んで反省し、再発を防止するように心がけるようにする必要があります。どのような場合でもそのような心がけを持って前向きに事に当たれば、益々、あなたは「怒ってはいけない人」になっていけるのです。
そのような姿勢で臨むようになれれば、でっち上げの批判を真に受ける必要もなくなります。不要な叱責をしてくるのはその人の人間性の問題であり、一種の病気のようなものと思えるようになるからです。
しかし、攻撃を受ければどんな的外れな批判やでっち上げの攻撃でも精神的なショックはある程度は受けてしまいます。(これは「的外れな批判でも脳は反応してしまう」で書いたことです)
そこで、自分の問題ではなく相手の人間性の問題だと確信した上でコーピング行動をとって心に負ったダメージから回復できるようにするのです。(「叱責のダメージに対処する(3)」を参照)
なお、業務に全力で取り組むようにすると、それで不要な攻撃が止まるケースもあります。一生懸命に取り組んでいることをちゃんと見ていれば、時折、間違いを犯しても仕方ないと思うようになるのが普通なのです。しかし、それでもいつまで経っても不要な攻撃を止めない人間も少なくありません。そういう人間は、肝心なことは何も見ておらず、表面的なことしか理解できない人間なのです。(そのような人間がいるので、一生懸命に取り組むのと同時に、不当な攻撃を止めさせる印象操作術のスキルを身に着けることが大事だと私は言いたいのです)
注意しておきたいポイントは「一生懸命に取り組んでいる」という認識です。実は注意や集中がまだ足りておらず、余力を残してやっていても「充分にやっている」「一生懸命にやっている」と都合のいい解釈をすることはいくらでもできてしまいます。上記でも述べたように、自分にも落ち度があると問題が複雑になってしまいます。自分に噓偽りなく、一生懸命に取り組んでいると確信できることが何より大事です。(全力でやっていても時折はミスが出てしまうことは仕方ありませんが、度々出るとなると全力でやっているかは疑わしくなります。注意や集中が足りてない可能性が高いと思った方がいいでしょう。もし、全力でやっていると確信した上でそうであれば、注意欠陥障害などを持っている可能性もあります。また、現在の業務内容への適性の問題もあり得ます)
では、全力で取り組むためにはどう考えたら良いでしょうか。それは「常に積極的に取り組む」という前向きな意識を持つことです。全力で取り組んでいない人というのは、全てにおいて受動的なのです。
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