パワハラ問題における根本的な原因は、攻撃的な性格の人間と関わらざるを得ない状況になることです。世の中にいくら攻撃的な人間がいようとも、関わらなければ何も問題はありません。自分を攻撃してくる人間とわざわざ関わりを持とうとする人はいません。被害者は全て「関わらざるを得ない状況下」にあるのです。
そのことで思い出すことがあります。学生時代に熱帯魚を飼うのが好きな友人がいました。ある日、一緒に熱帯魚屋へ熱帯魚を見に行きました。店内には様々な種類の熱帯魚が種類毎に水槽に入れられており、さながら小さな水族館のようでした。
私が「この熱帯魚、キレイでいいじゃない。あと、これなんかもいいんじゃない?」と友人に言うと、近くにいたお店の人が「この種類とこの種類は一緒にできないんですよ」と言います。「一緒にできないというのは水質環境が異なるとか、そういうことですか?」と聞くと、お店の人は「これとこれを一緒にすると、この魚がこっちの魚を攻撃してしまうんです」と教えてくれました。
どの組み合わせが相性が悪かったかはあまり覚えていませんが、記憶にあるのはエンゼルフィッシュは、グッピーやネオンテトラといった小型の熱帯魚を攻撃するという話です。執拗に追いかけ回し、ヒレをかじってボロボロにしたり、殺してしまうこともあるそうです。
エンゼルフィッシュといえば、熱帯魚愛好家の中でも人気が高い代表格です。名前からして、天使の魚といった感じでしょうか。しかし、その優雅な見た目とは裏腹に性格は攻撃性が強く、攻撃を受けやすい小魚にとっては、エンゼルどころかデビルフィッシュでしょう。
運河のような広大なところであれば、まだ遭遇する危険性も少ないですし、遭遇しないように気をつけることもできます。熱帯魚屋であっても種類毎に水槽に入れられるので安全です。しかし、家庭用の水槽のようなあまり大きくない水槽にエンゼルフィッシュと一緒に入れられたら、グッピーやネオンテトラにとっては死活問題になります。
私は、学校のクラスや会社の部署といった「小さい水槽」に攻撃性の強い人間と一緒になってしまうことを「グッピー・ネオンテトラの悲劇」と名づけました。これは社会上の構造的な問題であるとも言えます。義務教育は受けなければなりませんし、生活するためには収入が必要で、そのためには企業に就職しなければなりません。(会社に属さず個人で仕事をすれば、関わる人間はある程度選べますが、個人でやっていくのは雇用されるより難しいのが一般的です)
しかし、社会構造上の問題と言っても、攻撃的な人間と被害者になりやすい人間を正確に分け、一緒にしないようにするなどということは現実的には難しいことです。
被害に遭っている人というのは、声を挙げません。誰にも相談せず、苦悩に耐え忍ぶのです。その場に居合わせている人たちも誰も助けてくれません。(助けないというか、状況的に助けることができません)日々、精神に重圧がかかれば、心身に障害を引き起こすか、ヘタすれば自殺に走ることにもなります。少なくとも、毎日は楽しくなく、苦痛に満ちたものになるでしょう。「社会構造上、仕方ない」と割り切ってしまうにはあまりに大きな問題です。これほどの問題でありながら、有効な解決手段がないというのは大変なことだと思うのです。(パワハラ防止法はあまり役に立たないと思います)
そこで、私が推奨する「印象操作術」のような個人で解決できるスキルを身につけることが重要だと言いたいのです。運悪く、エンゼルフィッシュがいる職場という水槽に一緒に入ってしまったグッピーやネオンテトラの人たちは、自分を小魚に見えないようにするスキルを学んでください。
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