怒りを正当化するために使う彼らの常套手段に注意しよう

加害者の分析

他人に怒りを向けることや批判をすることは、人として善い行為ではありません。しかし、物事が自分の期待通りではないと、怒りや不満を他人にぶつけたい衝動に駆られる人間は多いものです。

叱責やパワハラといった行為も怒りや批判を含んでいますので当然、善くない行為とみなされます。しかし、普段からネガティブ感情を表出させていたり、立場の弱い人に何の躊躇もなく怒りの感情を向けられる人間というのは、他人に怒りをぶつけたくて仕方ない人種です。では、彼らはどのようにして怒りをぶつけることを正当化するのでしょうか。その手段を説明します。

例えば、あなたが一所懸命に取り組んでいた中で何か一つ、見落としがあったとします。人間は機械ではありませんから、見落としや見間違え、勘違いなどは起こりえることです。一所懸命に取り組んでいた中ではある程度は仕方のないことです。しかし、「仕方がない」では怒りを向ける正当性が成立しません。怒りをぶつけるという世間から善いこととされていないことを行うのには正当な理由が必要になります。

そこで、あなたを責任感のない人間とし、そして自分を責任感が強く、仕事に厳しい人間ということにして、あえて叱責をするという形にするのです。要は、怒りの感情を向けることを正当化するために、立場の優位を利用して「仕事に無責任で軽率なミスをする奴に仕事の厳しさを教える」というでっち上げの構図を作り、反論しにくいのをいいことに一方的に押し通すのです。これが彼らが使う常套手段です。

もし、何かを言えば大抵は「そんなの言い訳だ!」などと、火に油を注ぐ結果になります。まだ感情が高ぶっているうちは、こちらの言う内容は関係ありません。有利な立場であるのをいいことに、腹の虫が治まるまで攻撃します。これは人間として卑劣な行為です。

このような、他人の自尊心を傷つけるようなやり方が許されるはずがありません。真摯に取り組んでいた中で過失で犯してしまったミスであったのに無責任な人間だと決めつけられれば、やりきれない気持ちになって当然です。一所懸命に取り組むことがバカバカしく思えてくることもあるでしょう。

しかし、気にすることはありません。

理想的なリーダーシップの方法を説いた本を読むと、大抵は部下がミスを犯したとしても一所懸命にやった結果であれば仕方ないことだと理解を示し、激励し、期待をかけ、やる気を起こさせる重要性を説いています。読んでいて「その通りだ」と、うなづけることが多くあります。しかし、やるのは簡単ではありません。理想的なやり方を理解した上で、自分の感情を制御しなければなりません。このような方法を実践できるのは、ある程度の人間性の高さが必要です。

怒ってくる人間も他人には怒られたくはありません。しかし、不満感情を発散したいという利己的な動機だけで、自分でもされたら嫌なことを平気で他人にする。怒りを向けるためにでっち上げの構図を作り上げ、それが結果的にどれだけ相手の自尊心を傷つけることになっても構わない。そのような人間性の低い人には、理想的な対応など期待しても到底、無理な注文なのです。

人格的に素晴らしい人だと思っていたのであれば、理不尽な叱責をされればショックを受けるのは理解できます。しかし、普段から接していれば、そんな立派な対応を期待することなど無理な相手であることはあなたも分かっているはずです。ですから、こちらは何もショックを受ける必要はないわけです。

もし、あなたが本当にミスをしたのであれば(でっち上げの叱責もありえますので)、対策を考え、次回から充分に注意して繰り返さないようにし、あとは業務に全力で取り組むことに集中すれば良いだけです。不要な怒りを向けてきたり、差別的な扱いをするのはその人の人間性の問題であり、こちらの問題ではないのです。それをしっかりと覚えておいてください。

気をつけてほしいのは上記で述べた通り、彼らの使う常套手段です。繰り返しますが、彼らはこちらの立場が弱いのをいいことに、一方的にでっち上げの構図を作り上げるのです。それを真に受けてはいけません。あなたが一所懸命に取り組んでいる限り、仕事がデキない人間だとか無責任な人間かどうかなど全く関係ないことです。そんなことで劣等感に苛まれたりするのはバカバカしいことです。

しかし、気にすることはないと分かっていても、叱責などの行為を受けると精神的にショックを受けてしまい、真に受けてしまうことも多々あります。そこにどう対処していくかのヒントは過去のコラムを参照してください。

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