なぜ我々はパワハラや叱責されることを問題とするのでしょうか?それは当然のことながら、強いストレスを感じ、精神的に高い負荷を受けるからです。そもそも叱責されようが激怒されようが、何とも感じなければ問題にはなりません。苦痛を感じるから問題になるのです。
パワハラをするような人間の叱責というのは、その多くが不合理なものです。怒る必要性と合理性がない場合が多いのです。(それは、何をやったかではなく、誰がやったかで対応を変えている点でも分かります)
私も、受けた叱責が如何に不合理なこじ付けであるかはわかっているのに、反応を抑えられない歯がゆさを感じていた時期がありました。ネガティブな反応をしたら相手の思うつぼです。「これは正当な叱責ではないから気にする必要はない」「ショックを受ける必要はない」「受け流せばいい」と自分に言い聞かせました。しかし、どうしても頭の中にあるネガティブな反応のスイッチが勝手に入ってしまうのです。こうなると後で苦しむことは目に見えてるのに。
私は、この情動反応の感度を弱くできないものか?歯医者の治療で麻酔をするように、反応を鈍くする薬はないか?と考えたこともあります。(しかし、薬で抑えることは弊害が大きすぎて、現実的ではありません)
残念ながら、反応してしまうのはどうしようもないことです。他人が怒りという感情を表出している場合、それは攻撃態勢に入っていると脳の本能的な部分にプログラムされているのです。しかも、それが自分に向けられている。それで反射的にノルアドレナリンを放出し、体を「闘争」または「逃走」の態勢にします。(さらに、それに批判が含まれているから余計にタチが悪いのです。人間は批判や否定に弱いものです。それでも十分に精神的ダメージを受けてしまうのを、それに怒りの感情を加えてくるのですから受けるダメージは余計に大きくなります)
たとえ、的外れなことで叱責されても言っている内容に関係なく、情動のスイッチは入ってしまう。これは脳の機能だと自覚する必要があります。記憶術などで知られるトニー・ブザンの著書に「脳の取扱説明書」というものがあります。これはとても良いタイトルです。自分が感じていることが現実であるようにしか思えないのが、実は脳の機能がそうさせていると気づかせてくれるタイトルです。
たとえば、丸の中に2つの点を並べて描き、その下に横線を1本描くだけで顔に見える。それは、人間の脳の中に顔認識細胞というものが存在するからです。(多くの心霊写真はその顔認識細胞の仕業です)これは、本人の意志とは関係なく脳の機能上、勝手にそう見えてしまうのです。
つまり、分かっていても脳の機能で自動的に反応するようになっていて、意志の力では変えることが困難なことが多々あると理解することが大事なのです。そして、それらの反応の多くは生存本能として正常な機能なのです。上記で書いたように、危機の場合に分泌されるノルアドレナリンを薬で抑えたら、危機的な状況でも反応できず、交通事故などに遭ってしまうかもしれません。
そしてもう一つ、理性は感情に合わせて辻褄があるように理解しようとするという特徴があります。それは、自分が悪くないと分かっていても、まるで悪いかのような感覚に囚われやすくなるということです。これも脳の機能がそうさせているのです。
脳の生理機能上、反応を抑えることは難しいという前提で、解決手段は2つあります。一つは、どんな反応に対してもタフになること。(反応に対する耐性を鍛えていくこと)そして二つ目は攻撃をしてこないように相手を誘導することです。
前者は非常に大事なことだと思います。どんな苦難や逆境にも耐えられるようなタフな人になることは、ある意味、理想です。(精神的にタフになれれば情動反応自体を変えられる可能性もあります)しかし、タフになることは容易ではありません。私も過去に再三、試みた経験がありますが、「3歩進んで2歩下がる」はまだ良い方で「3歩進んで3歩下がる」、つまり進歩してないと感じることが多くありました。非常に根気が要ります。
二番目の「攻撃をしてこないように相手を誘導する」は、印象操作術を学んで実践すれば個人的にはさほど難しくないと思っています。(精神をタフにすることに比べればずっと簡単です)
では、どちらをやるべきか?私の考えでは、両方やった方が良いと思います。印象操作術で攻撃を最小限に抑えつつ、精神面を鍛えていくという目的を持って取り組むのがベストでしょう。
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